しのぐ

独立直後から業績不振で

数年前までアルバイト生活だったのに

その後、業績回復して

今ではビジネスクラス

ヨーロッパに出張している

社長がいらっしゃいます。

条件緩和してもらっていた

銀行融資の返済も

来月完済することになりました。

「どうやったらうまくいくか」よりも

「うまくいかないときにどうしのぐか」の方が

大切かもしれませんね。

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260日目。スカイステージがすき。

今日はダンスしたりなんなりでした

TIFのことをふわふわと思い出していたら支度するの遅くなってバタバタだった

スカイステージの夜景をライブ中に見た時、去年のこのステージから1年頑張ってきてよかったって思ったよ

たった15分のステージで今のこの気持ちを伝えなきゃって思ったら色んな感情が止まらなくて、本当に本当に胸がいっぱいで苦しいってあるんだなぁ〜と思いながら歌ってた

初めましての方にもたくさん会えて嬉しかったなぁ

また遊びに来てね

待ってるねおやすみ

塾で働いてきて良かったなと思った夏の週末その2

1か月ほど前に、ランニングクラブの加藤コーチから、

昔の卒業生たちと山登りに行く計画があるんだけど来ない?と誘われました。

このブログで書くのは初めてですが、

加藤コーチと私は江南市の塾で一緒に働いていた時期があります。

当時加藤コーチは、江南の校舎に専任の講師で、私はもう1つの校舎がメインで、

週に2回ほど本部のある江南市で授業を受け持っていました。

現在21歳から〜23歳になる、2世代の卒業生と御在所岳に登るという計画でした。

御在所岳には10年以上前に、遊びでロープウェーに乗って山頂まで行ったことがあるくらい。

登山のサイトで調べてみると、多くで中級と分類されていました。

そしてあるブログでこんな記述がありました。

6歳からなら頂上まで登れるのではないでしょうか?

長男にカトチャンマン先生と山登りに行きたいかい?と聞くと、

行く〜行く〜と2つ返事。持久力と負けず嫌いはなかなかな所があるので、

期待半分、不安半分で四日市に向かいました。

山登りに参加してくれた卒業生は以下のメンバー。

こうじろう、ゆういちろう、すずか、しょうの4人です。

全部で7人のグループで1212の山頂を目指しました。

スタート前にみんなで。妻と次男はロープウェーで先に上ります。

スタートしてすぐに蒼滝という美しい滝がありました。

そこで分かったのが、御在所岳花崗岩でできた山であること。

私はもっと土や草原の上を歩いていくのだと思っていたので、予想外に大変になりそうな予感。

長男も同じだったようで、表情が冴えません。

無理だ!ヤバい!!階段が長すぎるよ!など、ネガティブな発言が目立ちます。

お兄ちゃん、お姉ちゃんに人見知りをして、照れ隠しの部分もあります

美しい滝をみても、怖い表情はなぜ!?

もっと楽しいと思っていたのにそういわんばかりの表情です。

それでも標高の低い前半は土の上を歩くような場所も多く、枯れ葉の上を歩いていきました。

しかしそのシチュエーションで私たちを悩ませたのは蛭。

しょうとゆういちろうがその餌食となり、元気と体力を奪っていきました。

私も手のひらに2匹相次いでやってきて、すぐに払い落とします。

慎重に橋を渡る親子。昨日の登山で一番のお気に入りの写真です!

まだ前半で、蛭やクモの巣に悪戦苦闘していた辺り。

頂上までは3時間ほどと聞いていました。

滝で遊んだり、長男のペースに皆が合わせてくれたお蔭で、

2時間余りたった時に、3合目の看板。

大人たちがまだ10分の3かぁと嘆く中、不思議なことに長男のスイッチが入り始めます。

6合目までやってきた所で、1番の難所であるキレートという場所に到達しました。

要は岩場を鎖で下って行くのです。私自身も足がすくみそうな所で、

長男は先頭の加藤コーチにどんどん着いていきます。

こんな感じで難所を下って行く長男。

難所が終わっても次と巨大な岩場が続きます。

この頃になると、さらに自信を付けてきたのか、

抱っこされて登っていた岩の段差を自力で登ることが増えてきました。

足を置く場所をみつけるのが上手になってきましたし、鎖の使い方も慣れてきたのです。

親ながら成長のスピードに舌を巻きました。

大人も手こずる砂地を一生懸命登ります。

長男のベストショット。山登りの臨場感が伝わります!

8合目の休憩では、そろそろみんな行こうよと逆に急かすようになっていました。

結局5時間余りで、山頂の公園に辿り着きました。

私は上で待っていた次男と合流し、長男と妻はリフトで山頂まで移動します。

次男はリフトに乗れないため、家族全員での山頂は断念しました

最初の頃との表情の変化がすごい!良かったね!!

予定日より1カ月早く生まれてきて、で保育器に入れられていた長男。

ここまで逞しくなってパパは嬉しいぞ!!

そして加藤コーチはじめ、みんなが長男を支えてくれました。ありがとう!!

御在所岳が忘れられない山になりました。いつか富士山にも一緒に登ろうな!

堀切川の水位が気になりますそちらは大丈

堀切川の水位が気になりますそちらは大丈夫?大丈夫?といえば、りん君の足はその後どうです?

「燕雀相賀」はもう死語なのだろうか 私の「燕」考

 「燕雀相賀」という言葉がある。人家の軒に巣をかける燕や雀も、人家の完成をともに祝っているという意味である。燕雀と人の暮らしの近さからうまれた言葉である。

 しかし、報じられているように、最も身近であった雀の数が近年、減少している。環境の変化にもよるが、ひとつには雀が巣をかける場所が減っているということだ。これは、建築様式の変化だが、一見和風建築に見える家が、実際にはこれまでの家と違って、軒と瓦との隙がまったくなく、巣がかけられないということらしい。

 では、燕の場合はどうだろうか。

 燕が軒先などに巣をかけた場合、やがて子ツバメが顔いっぱいの口を広げて餌をねだる様子や、成長した子燕たちが巣立ってゆく有様を慈しむように眺めてきた伝統がこの国にはあった。毎年々々のそんな繰り返しを。

 私が疎開していた農家の母屋にも、軒下ではなく家の中の土間の梁に毎年巣をかけていた。いくら治安が良かった昔の農家でも、一年中、戸を開けっ放しにしておくことはないのだが、ではどうやって燕が出入りしていたかというと、土間に通じる軒下の箇所に、10センチ四方ぐらいの穴が開けてあって、そこから彼らは出入りをするのであった。猫好きの人が、ネコ専用の出入り口を作ってやるのと同様である。

 そうして、毎年、燕がくるのを待つ。もう、あちこち飛び回っているのに自分の家だけに来ないと「今年はどうしたのかな」と気を揉み、やってくると「おう、遅かったじゃないか」と安堵するといった具合だった。

 こうして、燕と人とは完全に共存、共住してきたのだが、そればかりではない。農家にとって、燕は田畑の害虫をとってくれる大切な共働者でもあった。いまのように農薬で虫を殺すことがなかった時代であれば、なおさら彼らの存在は貴重であった。

             「月夜桃に燕」歌川広重(部分)

 ところで、昨今は、燕が軒先やガレージに巣をかけると、周辺が糞などで汚れる、車が汚れるということで、叩き落としてしまうことがあるらしいのだ。私自身、その現場を目撃したことがある。

 かつての農家のように相互依存の関係もないわけだから、追い払おうとするその言い分もわからないでもない。ただ叩き落とす前に、何らかの対策を講じるなど方法はないものかと考え込んでしまう。

 そんな時代になったからだろうか、もうかなり前、私が30代の頃、福井と岐阜県境の石徹白の民宿での一夜をしみじみと思い出す。その折、私たちの一行は、石徹白川やその支流に、アマゴやイワナの渓流魚を求めて行ったのだが、いまのように高速などができていない頃で、その少し前までは秘境とさえいわれていた山深い集落の石徹白、名古屋・岐阜からの一日の強行軍ではとても釣りを満喫することができなかった。

 そこで集落内にあった民宿に宿泊したのだが、それは今いうところの民泊であろうか、いわゆる営業用に改築などされた職業的民宿ではなく、ありのままのその住居に泊めてもらうということで、いってみればフスマひとつ向こうには、その家の家族が寝ているようなそんな民宿だった。

        旧国鉄の特急つばめ号 乗客中央は日本最初のボクシング

          世界チャンピオン白井義男の対戦相手 ダド・マリノ

 私たち一行は、一番大きい部屋(8〜10畳)に通されたのだが、なんだか様子がおかしいのだ。夕間詰めまで釣っていたせいで、私たちが到着した折には、すでに夕餉の用意がなされていたが、その食卓が、本来なら部屋の中央にある電灯の真下あたりにしつらえられているはずなのに、部屋の隅の方なのである。

 私たちは、その異変の原因にすでに気づいていた。

 その部屋の電灯の近くには、なんとツバメの巣があり、しかも、もう子が孵っているのと電灯でまだまだ明るいのとで、ときどきそれらが鳴き交わしていたのだ。そしてその下には、建築用のブルーシートが敷かれ、さらにその上に新聞紙が敷かれていた。もちろん彼らが垂れ流す糞対策であった。

 私たちはそれを避けたところで食事をし、かつ、眠るということになった次第なのだ。民宿の主は、「お燕さんが来とるもんで」とさして申し訳なさそうでもない言い訳をポツリと呟くのみだった。

 私たちは「郷に入れば郷に従え」で、これもまた乙な風俗と誰もクレームなどはつけなかった。それに誰もが、小さく開けた盆地に谷の水を引いたわずかばかり田んぼにとって、害虫を捕食してくれる燕たちがいかに貴重な存在であるかを常識として理解していた。

 物心ついてすぐに疎開を余儀なくされ、農村で数年間を過ごした私にとって、そしてまた上に書いたような事柄を少なからず体験していた私にとっては、人と燕との共存は当然のことであり、親から子へと語り継がれ、民宿の主がいうごとく、「お燕さん」として軒先のみならず一番大きな部屋を提供することが不自然でも何でもないことはとうぜんの了解事項であった。

 しかし今、燕は人の住居の周辺を汚すけしからん鳥として迷惑視され、ときによっては、先程みたように暴力的に排除されようとしている。それを一方的に非難するわけにもゆかないだろうが、少なくとも、殺傷沙汰ではない形で対応できないものだろうかと重ねて思う。

 いまは市街地の郊外で、だんだん少なくなってゆく田んぼを見つめて暮らしている私にとっても、春から秋にかけての訪問者を心待ちにする気持はつよい。私のうちに巣をかけることはないが、それでも周辺にその姿見かけるとなんだかほっとする。

 逆に、春先になっても見かけることがないと、なんとなく落ち着かない。

 

 以下に載せるのは、昨年、私の窓の下の休耕田で乱舞する燕のグループである。

 今年はこの休耕田が埋め立てられ、四軒ほどの家が建てられつつある。そうすると、来年には、こんな風景も見られなくなるだろう。

 https://www.youtube.com/watch?v=dSAEJrAJKGc

 もし燕に歴史家がいたとしたら、かつて益鳥として、「お燕さん」とまでいわれた自分たちの一族が、いまや害鳥扱いされ始めたことの理不尽さをどのように記述するだろうか。

 そして、冒頭に掲げた「燕雀相賀」という言葉は、完全に死語の領域に追いやられのだろうか。

部屋の入り口から机周り

時間があると、ちょこちょこと模様替えと整頓を進めている主です。

んで、気づけばスピーカーを下敷きにして、iMacを配置してみるという構図に。

高さが変わって、姿勢良くしてないと目に悪いという状況になりました。

ある意味、無理矢理にでも矯正させるような形になる・・・かも?

後は、DVDレコーダーを足元エリアに移動させたビデオデッキと同じ場所に配置してみたり。

横にある棚にあったPS3Xbox360をレコーダーが収まっていたところに置いて見たり。

と、あっちこっちものを移動させてみたりしてました。

ただ、しっくりは来てないので、最終的にどうなるかが自分でもよく分からないです。

兎に角、収まりがいい感じになればなとは思ってます(ーωー;

もうちょい収納エリアを確保したいんだけれどもなぁ。

いらないものの破棄がもう一息進めばいいんだろうけどね(苦笑

頑張って仕分けせにゃな

クロソのお番。

どうも!クッキー生地&ブルーハワイ色、クロソです!

因みに自分はクッキー嫌いです

小さい時は好きだったんですけどなんか大人になってから食べたら気持ち悪くなるんですよねぇ。

もう油物もキツイ。BBAだ

皆さんは嫌いなものとか苦手なものありますか?

自分はたっっっっっくさんあります!食べ物も沢山あるし、虫全て無理だし、人とか苦手だし、お化けとか暗いの無理だし、集合体恐怖症だしetc

兎に角、嫌い、苦手なもの沢山あるんです

だから食とか傾きがちなので栄養とか気にしても食べられないですからね大変です。

まあ人間何とかなる!かな?w

お料理のできる旦那様と結婚したいですね、一緒にお料理したいです

嫌いな物も一緒に食べてくれれば頑張れる気がします

本日は、7曲録音しました。コーラスも入れると14曲?

いやー疲れました。でもそれよりもとても楽しかったです

歌って楽しいですよね

自分は歌う事が大好きです!

また時間ができれば投稿する歌ってみたを録りたいと思います。

そういえば、今日1日で胃の中にジャイアントコーン(バニラ)しか入れてません。完全に食べるタイミングを色逃しました。

お腹すいたなぁ。

それでは今日はこの辺で

それでは

おやすみなさいー

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