ギャンブルと借金

これは、個人的に人間の魂にとってよくないものと思っている2つのことです。

19世紀ロシアの作家チェーホフの作品にはカルタが人間の魂の堕落の象徴として扱われています。これは、ロシアのトランプのようなものであり、現代日本においては麻雀のようなものだと思われます。当時のロシアでは4人で勝負するゲームであることから、それが最も近い表現だと思います。

今は、麻雀人口はバブルの頃と比べるとだいぶ減りましたが、パチンコパチスロは全く廃れる気配がありません。私も、20代前半の放蕩生活時代には、パチンコ店に出入りしておりました。ところが、改宗後に、一度だけ、お金に困ったことがあって、パチンコ店に入ったことがあるのですが、4000円ほどすって、店を出ました。その後には、ずいぶん、罪悪感に苛まれました。しかし、もし買っていれば、それは罪の代金です。負けてよかったと今では思います。

また、もう一つの現代病としては、消費者ローンの問題があります。これも20代前半のことで、一応、大学に籍を置いてはいたのですが、親からの仕送りで放蕩生活を送っていました。しかし、やがて独立心から仕送りを断り、アルバイトをするようになりました。ところが、どのアルバイトも長くは続かず、仕送り時代から手を染めていた消費者ローンに依存するようになりました。借金の問題もやはり、チェーホフの小説において堕落の象徴として表れていることから、現代日本の闇は19世紀ロシアの闇とよく似通ったところがあります。大学は3年で中退し、借金が150万に上った頃、近所のファミリーレストランバーミヤンで面接を受けました。面接は通ったのですが、自給800円弱で、返せる自信もなかったために、ついに、借金を全額、母親に丸投げしてしまいました。この事件は、私の魂にとって、私の人生を通して、最も痛手を受けた事件でした。その後は、ようやく自活するようにはなったものの、後まで私の人生の闇として残り、おそらくはそれが統合失調症にまでなった、一番の要因だったのではないかと思われます。

改宗後、買い物に便利でお得な、西友のセゾンカードを申し込んだことがあるのですが、過去の傷がうづき、ずいぶん苦しみました。結果的には、一度、クレジットカードの返済を断り続けた経緯があり、審査に通らなかったかったのですが、その時はむしろ救われたような気分がしました。

パチンコや、クレジットカードなどは、大衆的には全く罪のないようなものに思えますが、チェーホフの小説をとってみると人間の魂の堕落と決して無縁なものではないことがわかります。

あのとき、真面目にバーミヤンで働いて、利息だけでもコツコツ払えばやがては完済できたはずであり、こんな病気にもならずにすんだはずなのにと思うこともあるのですが、結果的には、行くところまで行きついた挙句に、そもそもの堕落の始まりであった163事件にフィードバックされ、先生の助けを借りてそこから脱出し、あらゆる過去の罪という罪を清算するべく改宗の道へと入ることになり、天の父の元では洗礼によって義とされることになりました。過去は消え去りませんが、罪は消え去りました。これがキリスト教の神秘であります。

たとえば、キリスト教の教父であるパウロは筋金入りのクリスチャンですが、改宗前は、ユダヤ教の右翼であるガチガチのファリサイ派であり、使徒行伝に現れる聖ステファノの殺害に加担したことで、後まで後悔することになります。マグダラのマリアもまた、もとは遊女であったがために、改宗後は天涯孤独の身であったと思われます。しかし、彼らは罪深きゆえに、イエスへの愛も深く、信仰によって義とされ、以降、神の元では貞潔を貫きました。彼らは改宗者の見本であり、心の支えであります。そえゆえに、私もかくありたいと願っています。

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