「燕雀相賀」はもう死語なのだろうか 私の「燕」考

 「燕雀相賀」という言葉がある。人家の軒に巣をかける燕や雀も、人家の完成をともに祝っているという意味である。燕雀と人の暮らしの近さからうまれた言葉である。

 しかし、報じられているように、最も身近であった雀の数が近年、減少している。環境の変化にもよるが、ひとつには雀が巣をかける場所が減っているということだ。これは、建築様式の変化だが、一見和風建築に見える家が、実際にはこれまでの家と違って、軒と瓦との隙がまったくなく、巣がかけられないということらしい。

 では、燕の場合はどうだろうか。

 燕が軒先などに巣をかけた場合、やがて子ツバメが顔いっぱいの口を広げて餌をねだる様子や、成長した子燕たちが巣立ってゆく有様を慈しむように眺めてきた伝統がこの国にはあった。毎年々々のそんな繰り返しを。

 私が疎開していた農家の母屋にも、軒下ではなく家の中の土間の梁に毎年巣をかけていた。いくら治安が良かった昔の農家でも、一年中、戸を開けっ放しにしておくことはないのだが、ではどうやって燕が出入りしていたかというと、土間に通じる軒下の箇所に、10センチ四方ぐらいの穴が開けてあって、そこから彼らは出入りをするのであった。猫好きの人が、ネコ専用の出入り口を作ってやるのと同様である。

 そうして、毎年、燕がくるのを待つ。もう、あちこち飛び回っているのに自分の家だけに来ないと「今年はどうしたのかな」と気を揉み、やってくると「おう、遅かったじゃないか」と安堵するといった具合だった。

 こうして、燕と人とは完全に共存、共住してきたのだが、そればかりではない。農家にとって、燕は田畑の害虫をとってくれる大切な共働者でもあった。いまのように農薬で虫を殺すことがなかった時代であれば、なおさら彼らの存在は貴重であった。

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 ところで、昨今は、燕が軒先やガレージに巣をかけると、周辺が糞などで汚れる、車が汚れるということで、叩き落としてしまうことがあるらしいのだ。私自身、その現場を目撃したことがある。

 かつての農家のように相互依存の関係もないわけだから、追い払おうとするその言い分もわからないでもない。ただ叩き落とす前に、何らかの対策を講じるなど方法はないものかと考え込んでしまう。

 そんな時代になったからだろうか、もうかなり前、私が30代の頃、福井と岐阜県境の石徹白の民宿での一夜をしみじみと思い出す。その折、私たちの一行は、石徹白川やその支流に、アマゴやイワナの渓流魚を求めて行ったのだが、いまのように高速などができていない頃で、その少し前までは秘境とさえいわれていた山深い集落の石徹白、名古屋・岐阜からの一日の強行軍ではとても釣りを満喫することができなかった。

 そこで集落内にあった民宿に宿泊したのだが、それは今いうところの民泊であろうか、いわゆる営業用に改築などされた職業的民宿ではなく、ありのままのその住居に泊めてもらうということで、いってみればフスマひとつ向こうには、その家の家族が寝ているようなそんな民宿だった。

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 私たち一行は、一番大きい部屋(8〜10畳)に通されたのだが、なんだか様子がおかしいのだ。夕間詰めまで釣っていたせいで、私たちが到着した折には、すでに夕餉の用意がなされていたが、その食卓が、本来なら部屋の中央にある電灯の真下あたりにしつらえられているはずなのに、部屋の隅の方なのである。

 私たちは、その異変の原因にすでに気づいていた。

 その部屋の電灯の近くには、なんとツバメの巣があり、しかも、もう子が孵っているのと電灯でまだまだ明るいのとで、ときどきそれらが鳴き交わしていたのだ。そしてその下には、建築用のブルーシートが敷かれ、さらにその上に新聞紙が敷かれていた。もちろん彼らが垂れ流す糞対策であった。

 私たちはそれを避けたところで食事をし、かつ、眠るということになった次第なのだ。民宿の主は、「お燕さんが来とるもんで」とさして申し訳なさそうでもない言い訳をポツリと呟くのみだった。

 私たちは「郷に入れば郷に従え」で、これもまた乙な風俗と誰もクレームなどはつけなかった。それに誰もが、小さく開けた盆地に谷の水を引いたわずかばかり田んぼにとって、害虫を捕食してくれる燕たちがいかに貴重な存在であるかを常識として理解していた。

 物心ついてすぐに疎開を余儀なくされ、農村で数年間を過ごした私にとって、そしてまた上に書いたような事柄を少なからず体験していた私にとっては、人と燕との共存は当然のことであり、親から子へと語り継がれ、民宿の主がいうごとく、「お燕さん」として軒先のみならず一番大きな部屋を提供することが不自然でも何でもないことはとうぜんの了解事項であった。

 しかし今、燕は人の住居の周辺を汚すけしからん鳥として迷惑視され、ときによっては、先程みたように暴力的に排除されようとしている。それを一方的に非難するわけにもゆかないだろうが、少なくとも、殺傷沙汰ではない形で対応できないものだろうかと重ねて思う。

 いまは市街地の郊外で、だんだん少なくなってゆく田んぼを見つめて暮らしている私にとっても、春から秋にかけての訪問者を心待ちにする気持はつよい。私のうちに巣をかけることはないが、それでも周辺にその姿見かけるとなんだかほっとする。

 逆に、春先になっても見かけることがないと、なんとなく落ち着かない。

 

 以下に載せるのは、昨年、私の窓の下の休耕田で乱舞する燕のグループである。

 今年はこの休耕田が埋め立てられ、四軒ほどの家が建てられつつある。そうすると、来年には、こんな風景も見られなくなるだろう。

 https://www.youtube.com/watch?v=dSAEJrAJKGc

 もし燕に歴史家がいたとしたら、かつて益鳥として、「お燕さん」とまでいわれた自分たちの一族が、いまや害鳥扱いされ始めたことの理不尽さをどのように記述するだろうか。

 そして、冒頭に掲げた「燕雀相賀」という言葉は、完全に死語の領域に追いやられのだろうか。