酸っぱいすき焼き

料理ってね、私にはかなり厄介なものです。

私の母は、完璧主義。

私は、そう思っています。

昔から、安全が確信できないことは

子供には任せませんでした。

料理は子供にとって危険が付きもの。

包丁、ガスコンロの火。

取扱を間違えれば怪我もするし、

火事にでもなれば、

被害は本人だけでは済みません。

なので、子供がかなり大きくなるまで

料理はなかなかさせませんでした。

母に料理をするように言われるようになってからも

危険だからと揚げ物はしないようにと言われていました。

また、私には母と一緒に料理をしたという記憶がないのです。

実際にはそういうことが

全くないわけではなかっただろうと

思うのですが

私の記憶にはありません。

私が覚えた最初のメニューは、、、

自分の記憶にある限りでは

学校の家庭科で習ったマカロニグラタン。

習ったのは小学校の高学年だったかなあ。

小麦粉、BUTTER、牛乳で作ったホワイトソースが美味しくて。

これをいつ家のキッチンで作ったのかは覚えていませんが、何度か作った記憶があります。

グラタンは今でも作ります。

それと同じ頃だとは思うのですが

あと記憶にあるのは

私が味噌汁くらい作りなさいと

母に言われて作った時

それを一口食べた母が

これ、出汁取った?

味噌汁作るのに出汁取るのは当たり前だよ。

と言われたことです。

その時、私は、

出汁を取るということを初めて聞いたように思い、

そのうえ、当たり前だよ。と言われたことが悲しくて、何とも言い表せない気持ちになったのを覚えています。

今から思えば、母は毎食と言っていいくらい

味噌汁を作っていたので

毎日、その様子を私が見ているから

知っているはずだと思っていたのでしょう。

ただ私は空腹さえ満たされればよくて

食べることも料理にも

興味が無くて

母がすることを毎日ただ眺めていただけだったので、そういうことに気付きもしていなかったんです。

それまでは、料理に無関心だった私ですが

それ以来、料理は嫌いで苦手なものになりました。

私が30歳を過ぎて

両親が流石に私に縁談を勧めてきた時も

仕事はしますが、この子は料理は全くできません。

と母が仲人さんにハッキリ言っていたのを思い出します

ま、そうは言っても、本当に何もできないとは

仲人さんも先方も思っていなかったでしょうね

縁があって

私が嫁いだ先の姑も夫も

結婚前は

店の仕事さえしっかりしてくれれば

料理なんて食べられればいい、と

言っていました。

ところが結婚後、

こんなにも料理が下手だったのか!

と思い知ることになったのです

しかし、結婚前に何度も

こちらは料理は出来ない。と

ありのままのことを言い

先方は仕事さえしっかり出来れば、料理くらい食べられればいい。

と仲人さんにも言ったのですから

私は呆れられはしたものの

責められることはありませんでした。

なので、私が作る食事は毎食いろんなことがありました。

昼食も夕食も店を終えて

夫と同時に家に戻るのに

戻るやいなや飯はまだか!と10分も待っていられない夫を前にして

料理のレパートリーもなく、

手際も悪い私が焦らないわけがなく

煮炊き物、焼き物、揚げ物全て

いつも焦げ付き。

同じメニューでも毎回味が変わるのも当たり前。

自分でも最も驚いたのがすき焼き。

出来上がってみたら、

何故だが酸っぱい

今から考えれば、すき焼きをどうすれば酸っぱくなるのか?私もワケがわからないです

もう、自分でも笑うしかなかったです

でも、このおかげで料理に関しては

私がどんなものを作ろうとも

家族は誰も動じなくなりました

落ちるどこまで落ちれば怖いもの無しです

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